ブックガイド『スタンフォードの自分を変える教室』

更新日: 2013年10月13日

編著 ケリー・マクゴニガル著、神崎朗子訳
出版 大和書房、2012/10/18
定価 本体1,600円+税
ISBN 9784479793632
原題 The willpower Instinct by Kelly McGonigal

子育てはいつの時代も大変である。現代は、さらに支援する保育士や保健師、児童福祉士などの専門家も、大変になっている。関連する科学的な諸理論が発達し、それらを踏まえてアドバイスをしても、解決につながる支援にはなかなかならない。昔と違い、専門職が対面で指導してきたような内容は、雑誌やインターネットの上の“立派な専門家”から情報をいつでも得られるようになり、子育てに奮闘する現代のお母さん、お父さんは、既に知っている場合が多くなったからだ。

そんな時に求められるのは、大学等で教わった専門知識の提供より、ネットでは得られない、その人自身の人間関係や心構えやといったことになる。「自分を責めない」「配偶者を責めない」「子どものせいにしない」「舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)のせいにしない」といったアドバイスは、関係者への配慮に満ちたものだし、ADHDなどの発達障害の児を抱える親にとっては、「親の育て方に原因があるとするのは、科学的な研究成果に基づかない偏見です」とし、遺伝性など生物学的なものが要因であるという認識を広めるのは、苦しんでいる保護者に、さらに追い打ちをかけることから予防する。

特定の人に原因を求めないという姿勢を大事に守っていくとなると、最後に残る改善は、「社会環境」のみとなる。子育て支援サークルを探す、という程度なら比較的簡単に改善できるだろう。しかし、行政の施策や社内の福利厚生など、いつ変わるかどうがわからないものに対して、果たして子育て中の親は待てるだろうか。待てないなら、それらの改善のために、社会や組織を変革するか。これもとても大事なことではあるが、現実的には、子育てをしながらそれもできる人は極めて限られている。たいていは、諦めるか、引っ越しをするか、といったこと以外、社会環境は変えられない。

では、自分を責めず、身近な他人のせいにも社会環境のせいにもしないで、子育てが今より少し楽に、そして少しでも楽しくなる方法はあるだろうか。それは、「自分を変える」ことである。これまであまり語られてこなかったが、これが、まだ残っていたのだ。子育てがうまくいかないのは、実は原因は自分にもかなりあり、「変わるべきは自分だ」と内心はわかっているはずである。でも、そのための明確な方法がわからなかった。支援者も、その方法を人に説明できるほど、自分がわかっているという自信がない。そのため、「あなたが変わるのが一番」とは言えなかった。こういう状況ならば「無理をしないで息抜きをしつつ、社会資源を使いながら、やっていきましょう」という、どこかお茶を濁したようなアドバイスをするのが精一杯になっても無理はない。

その原因は、それこそ支援する専門家のせいではない。実は従来の科学は、「客観性」という旗印の下、その研究方法から「自分」というもの取り扱うことを極力、排除してきた。そのため、「自分の変え方」ということは科学的研究のテーマにされることが少なく、人々は研究の果実を手にできなかったのだ。そんな中、「自分を変える」方法を扱った本が出版され、今、ベストセラー街道をひた走っている。それが今回、ここで紹介する本である。原題はthe willpower instinct(直訳すれば「意志力の本能」)であるが、日本の出版社が、本書の狙いを上手に捉えてタイトルを付け直したのが、「自分を変える教室」である。目次を紹介しよう。

Introduction 「人生を変える教室」へようこそ–意志力を磨けば、人生が変わる
第1章 やる力、やらない力、望む力–潜在能力を引き出す3つの力
第2章 意志力の本能–あなたの体はチーズケーキを拒むようにできている
第3章 疲れていると抵抗できない–自制心が筋肉に似ている理由
第4章 罪のライセンス–よいことをすれば悪いことをしたくなる
第5章 脳が大きなウソをつく–なぜ欲求を幸せと勘ちがいするのか
第6章 もうやけくそだ–気分の落ち込みが挫折につながる
第7章 将来を売りとばす–手軽な快楽の経済学
第8章 感染した!–意志力はうつる
第9章 この章は読まないで–「やらない力」の限界
第10章 おわりに–自分自身をじっと見つめる

著者は、スタンフォードの心理学を専門とする女性で若手の講師である。本書はスタンフォードの大学生向けではなく、一般社会人向けの10週間の公開講座の収録である。そのため、それほど難解な専門的な知識はなく、読みやすくなっている。内容は、ストレスマネジメントやダイエットなどが主であり、子育てについは正面から扱っていない。社会人になってから大学に進む人が多いアメリカ西海岸でも、子育てに奮闘している真っ最中の人が、大学の生涯学習の講座に参加する余裕がある人は多くないだろう。それでも、本サイトで本書を紹介することにしたのは、子育てやその支援にも大いに応用可能だと考えたからだ。具体的にその理由を説明したい。

第一は、自分が日ごろから弱点だとわかっていることに対して、それを自覚し、メカニズムを理解すれば、自分でコントロールできるようになるためだ。「子育て」の専門家の理論やノウハウを参考にするまでならいいが、それに頼ってしまうと、自分で考えたり、自分自身を探らなくなる。我々は、何かに無理をして取り組んだり、あるいはサボってしまったり、また子どもや配偶者の気持ちや言い分よりも自分の方針や好き嫌いを押し付けてしまう日々を送っている。それらの原因を自分の中に見つけ、自分で解決する力をつけることを、これまでの子育ての専門家も、願ってきたはずだ。本書を併せ読むと、そのための知恵が浮かんでくる。

第二は、著者は、大学では「マインドフルネスの科学」という講座を担当していることだ。マインドフルネスとは、自分自身の行動や感情、思考を観察し、呼吸を整えるなどから心身の状態を自ら整えることであり、ベースにはヨーガや禅などの東洋的な思想と技法がある。これを子育てに生かした「マインドフル子育て法」という一つの専門分野があり、評者もそれを独自に開発しつつ、実証研究を行っている。子育てであれ家事であれ、自分の意図や注意に注意を向けることで、義務と思ってきた課題や面倒なだけのルーティンワークと思っていたことが、それ自体を楽しむことができる。また自分なりの工夫を加えていくことができるようになる。

おそらく子育てが上手いとか、好きだとか言う人は、そういったマインドの使い方をしているのだ。ただ、大半は生まれながらにしてやってきたことなので、それを自覚して人に教えるのは経験を語るしかなく、それでもエッセンスが伝わってこなかった。それを正面から扱うのがマインドフルネスである。子育てで苦労を覚える人は、おそらくそれ以外の日常生活においても、独特の生真面目さゆえに苦労を覚え、その苦労が混入しているだろう。そのため、まずは、日々の生活を生きること自体に負担を覚えず、楽しくなる心構えを獲得することが、子育てを楽にしてくれる。

第三は、脳科学の理論が心理学者の目から解説されており、これによって、自分自身の内部の変化を観察することが習慣化し、コントロールする力が高まっていくことだ。巷では「脳科学に基づく」というキーワードが入った商品があふれているが、科学の現場では人々が期待しているほど、全体像についての具体的なことはわかっていない。まだかなり限定されたことしか結論づけていないのに「最新の脳科学で証明された〇〇!」などの副題が入ったものは、いずれもマユツバと考えた方が無難である。

しかし、それでも脳科学の知識が有用と評者が考えるのは、自己観察する視点が強化されるからである。自分の肉眼では直接見えない脳やそれと連動した意識が「見えてくる」気がしてきて、注意がそこに向かうのだ。それによって、「自分ではなく脳がそうするのだ」と、あたかも他人事のように自分を観察するようになる。「自分」というと、我々は、体が一つであると同じく、心も一つの意思をもったものと思い込んでいる。しかし、実際は、思考と感情、意思と身体など、さまざまな面で乖離(かいり)しているのが実態である。それが迷いや後悔が生まれる元凶である。これを人間に潜む、どうしようもない性(さが)とみるのではなく、脳がもともと持つ性質という観点からみると、生物として生存のために守ってきた機能と、環境の変化に適応するために長い時間をかけて開発してきたものが、内部で拮抗しているともみなせ、コントロールするアイデアが生まれる。

まとめよう。「自分を変える」ということは、自分の悪いところを認めて改善する、ということではない。自分にしかわからない独特の思考や行動の習慣を自覚し、そこを自分の好みに合わせてカスタマイズしていくことである。これが何らかの問題から解放される近道であり、自由が手に入り、それが子育てなら、苦しみから楽しさに変わる。自分に最適なプログラムは自分が一番よく知っているはずである。それには、これまで学んだことを生かし、自分で工夫し、自らのアイデアで自分流を確立していくことである。それを導いてくれると期待できるのが本書である。実際にそうなるよう、うまく読み取っていただくことを願う。